国会図書館で『町会要覧』(千歳町二丁目町会、1933年)という文献を発見しました。

千歳町二丁目は、六間堀沿いにあった町です(現在の墨田区千歳二丁目全域と千歳三丁目のごく一部)
この文献には、六間堀自体を撮影したものはありませんでしたが、
昭和戦前の付近の街並みを撮った貴重な写真が3枚収録されていました。

竪川通りより見た千歳橋と国旗掲揚塔
[写真1]竪川通りより見た千歳橋と国旗掲揚塔(巻頭写真)

1枚目がこちらです。
千歳橋は、1929(昭和4)年7月に創架されたトラス橋です(震災復興橋)。
親柱の上には、背の高い灯具が立っていたようです。
空が広いですね。

写真左には国旗掲揚塔が見えます。
国旗掲揚塔は、町会単位で設置されることが多く、
しかも、わざわざキャプションに書いているくらいですから、
この掲揚塔は千歳町二丁目のものだと考えられます。


千歳橋2021年
[写真1']架け替えられた千歳橋(2021年(令和3))

千歳橋は、1981(昭和56)年に上部構造が架け替えられて、現在は鋼箱桁橋となっています。
また、千歳橋のたもとに掲揚塔は見当たりません。現存していないのではないかと思います。



山城橋より見た千歳町二丁目本通り商店街
[写真2]山城橋より見た千歳町二丁目本通り商店街(巻頭写真)

2枚目がこちらです。
左角の「和洋酒類」の看板が掲げられている店は、小槌屋酒店。
山白雪(日本酒の銘柄?)の特約店で、他に味噌、醤油、缶詰、ビン詰を取り扱っていたようです。
その奥の「毛皮」の文字は、永井商店。
毛皮や毛皮加工の請負だけでなく、洋傘の製造販売もしていたようです。
通りの反対側やや奥に見える「巴」の看板は、巴商会
「国栄号」「巴号」などの自転車の販売や、修理を業としていたようです。


千歳町二丁目本通り2021年
[写真2']様変わりした千歳町二丁目本通り(2021(令和3)年)

現在、この通りには商店が少なくなり、セブンイレブンがあるくらいです。
その代わり、住宅や会社が多くなっています。


巴ノ自転車
[写真a]六間堀と「巴ノ自転車」を竪川北岸から望む(1950(昭和25)年頃、カラー化)

ちなみに、六間堀の埋立て直前に撮影された、この文献とは別の写真に「自転車」という名が見えます。
六間堀沿いに巴商会の倉庫か何かがあったのかもしれません(情報募集中)。



汐時地蔵尊
[写真3]汐時地蔵尊(50頁)

3枚目がこちらです。
汐時地蔵は、町内にある要津寺というお寺に安置されているお地蔵さんです(損傷が激しいものの現存)。
江戸時代、六間堀の底に沈んでいたところを引き揚げられたといわれています。
このお地蔵さんは、満潮の時間になると表面が濡れ、干潮になると乾いて、
人々に「しおどき」を知らせたことから、「汐時地蔵」の名がついたという伝説があります。
咳の病に御利益があるということで、かつては、多くの参詣者がいたようです。

1930(昭和5)年には、要津寺門前の通りが六間堀とぶつかる所に新しく橋が架けられ、
汐時橋と命名されました。汐時橋も千歳橋同様、震災復興橋です。


2021年の汐時地蔵尊
[写真3']汐時地蔵尊(2021(令和3)年)

近年は、檀家でない限り、汐時地蔵の実物を見ることが不可能な状況が続いていましたが、
最近、境内の一角に台座つきのお堂と、由来を記す石碑が作られ、そこに安置されるようになりました。
ちなみに、こちらの汐時地蔵尊は、関東大震災後に作られた2代目です。


この『町会要覧』には、写真以外にも様々な情報が掲載されています。
関東大震災からの復興直後の街の様子が分かる貴重な史料です。
千歳の郷土史にご興味がある方には、面白い文献だと思います。