【一覧つき】『「暗橋」で楽しむ東京さんぽ』で楽しむ墨田区の暗橋・暗渠

先日、暗渠マニアックスのお二人の最新著作『「暗橋」で楽しむ東京さんぽ』が刊行されました。
「暗橋」で楽しむ東京さんぽ

暗橋とは、「暗渠」(≒水路跡)に架かる/架かっていた橋のこと。
都内を中心に様々な暗橋が紹介されていますが、その中には墨田区の暗橋も出てきます!

たとえば、第1部第1章第3節のオオトリ(?)には、松本橋が写真付きで登場(p.45)。
墨田区と江東区の境界にある橋で、関東大震災後に架けられた震災復興橋梁の一つです。そして、内部河川に架かる橋としては墨田区で唯一トラス橋という稀少な存在です。
「余力があればぜひ(中略)訪れてほしい」と書かれているとおり、ぜひ訪れてほしい暗橋です。できれば急いで。
というのも、松本橋は今後撤去する予定になっていて、今見ておかないと手遅れになってしまうからです。
墨田区内には、松本橋以外にも撤去が予定されている暗橋がいくつかあります(悲しい)。
無くなってしまう前にぜひ会いにいってください!

第1部第3章の「23区勝手に暗橋コンテスト」では、曳舟川に架かっていた更正橋(更生橋)の親柱が墨田区のナンバーワン暗橋に選出されています(p.75)。
本書で語られているように、この橋には更橋と更橋という2つの表記が混在しています。
その理由について確かなことは分かっていませんが、横井正男『曳舟川つれづれ草』(横井正男、2020年)60頁には次のような記述があります。
「八広小学校の前身である更正小学校が開校した時に更生橋から現在の『更正橋』に改称されたと伝えられています」。
同書の著者に取材したところ、この言い伝えは地元町内会長の談とのことでした。
実際にこのような経緯で橋名が変更されたのか、裏付ける史料や証言等を集めて確かめてみるのも面白そうです。
DSCN9418曳舟川更正橋/更生橋
[写真a]更正橋(更生橋)の親柱(旧水路ラボ撮影、2019(令和元)年)

第2部第3章第2節では、記号橋の順序の規則性を考察する中で、竪川一之橋六之橋が最初に取り上げられています(pp.142-143)。
どちらから数字を振るのか、その基準は上流/下流なのか、方角なのか、隅田川江戸城が関係しているのか、というように多様な視点で竪川を含む様々な川に架かる記号橋の事例を比較検討しています。
竪川の場合は、江戸時代前期に幕臣の住宅地(武家地)を隅田川を越えた東側に新規造成する際に開削され、それと同時に橋が架けられたとされています。それを前提にすれば、江戸城(中心)に近い方(≒隅田川に近い方)から橋の番号を振るのは自然なような気もします。
それぞれの場所で個別具体的な理由から振られたのか、それとも大きな法則性があるのか、興味深いテーマです。

などなど、本書には注目ポイントが盛りだくさん。
ということで、墨田区の暗橋・暗渠等が載っている箇所を下にまとめました(旧水路ラボ調べ)。
◆p.37 六間堀(地図)

キーワード【深川メタリック暗橋マップ】



◆p.45 六間堀・五間堀(切絵図ハンカチ)

キーワード【深川江戸資料館】



◆p.45 松本橋(写真)

キーワード【竪川】【トラス橋】【震災復興】



◆p.75 更正橋(写真)

キーワード【曳舟川】【躍動感】【八広小学校】【更正小学校】【更生橋】



◆p.75 平川橋・清平橋

キーワード【大横川】【個性的な保存】



◆p.115 吾嬬神社内部に架かる石橋(写真)

キーワード【微妙な位置】【池と池をつなぐ水路】



◆p.122 竪川・北十間川

キーワード【開渠に架かる橋】



◆pp.142-143 竪川(写真)

キーワード【記号橋】【一之橋】【二之橋】【三之橋】【四之橋】【五之橋】【六之橋】



◆pp.157-159 弥勒寺橋(写真)

キーワード【飼われ】【形而上の飼われ暗橋】【血統書】【五間堀】



◆pp.165 エア暗橋(表)

キーワード【「エア暗橋」交差点数】



◆pp.168 更生橋(写真)

キーワード【曳舟川】【標本】

※墨田区と江東区を流れた六間堀・五間堀については、江東区側しか載っていないページも構わずピックアップしています。
当ラボは六間堀・五間堀が好きなので、仕方ありません。


もちろん、墨田区内には他にもたくさんの暗橋があります。
例えば、牛嶋神社の脇にある小さな橋([写真b])のように、現役時代のままの形を保っているものや、南割下水みなみわりげすい(現・北斎通り)にある橋跡タイル([写真c])のように橋の実物はなくなっても、その名を伝えるもの等々。
牛嶋神社脇の小橋
[写真b]牛嶋さんの橋(旧水路ラボ撮影、2021(令和3)年)
※東京スリバチ学会 皆川典久会長による写真評(YouTube)

葉沢橋
[写真c]葉沢橋跡のタイル(旧水路ラボ撮影、2017(平成29)年)

みなさんも、本書を片手に街に出かけて、暗橋探しをしてみませんか。

「暗橋」で楽しむ東京さんぽ

暗渠マニアックスのお二人の前作『水路上観察入門』については↓


暗渠マニアックスのお二人の前々作『暗渠パラダイス!』については↓


投稿日時 2023.03.17 00:00

【一覧つき】『水路上観察入門』で墨田区を知ろう

先日、暗渠マニアックスのお二人の最新著作まち歩きが楽しくなる 水路上観察入門』が刊行されました。

前作『暗渠パラダイス!』に引き続き、本書にも、墨田区の水路跡が随所に出ています!

まず、表紙には、大横川ちょん切られた橋跡の写真が2枚も!
平川橋は、前作の帯にも登場していましたので、2作連続2度目の「出演」です。
このモニュメントには、人を惹き付ける何かがある気がします。
水路上観察入門編集

第1部第2章では、竪川暗渠化のミステリーが取り上げられていて、謎解き心をくすぐられます!
なぜ、竪川は途中までしか暗渠にならなかったのか。
分かりそうで分からない、そういう謎に挑む営為はほんとに楽しいですよね。

首都高が通る前の竪川の俯瞰写真(p.57)も最高です。
1964(昭和39)年に読売新聞に掲載された写真と同じタイミングで撮影されたのではないかと思いますが、本書の写真の方が解像度が高くて、細部までよく分かります!
手前から奥まで折り重なるように橋が連なるアングルが素晴らしく、
両岸には荷揚げ用のクレーンらしきものや、材木置き場らしき場所も見えます。
遠くが霞んでいるように見えるのは、当時の東京の大気の状態(スモッグ)を物語っているような気も。

第2部第1章では、『あしたのジョー』の冒頭の一コマが引用されています(p.117)。
川の流れがよどみ、ごみくずが溜まっているシーンです。
作者・ちばてつや氏の自伝等によれば、子ども時代〜青年時代に墨田区で暮らし、六間堀が埋め立てられて間もなく、その真上に建てられた家(現・墨田区千歳)に家族で住んでいたこともあったそうです。
その頃の経験から、『あしたのジョー』で、川やドブ板といった水辺の風景を描いたとのこと。
ですから、このシーンは、氏による墨田区の水路観察の結果生まれたもの、と言えるかも……?

第2部第2章では、再び竪川が登場。
蓋を掛けられた水路(暗渠)の上に、蓋(高速道路)が掛けられている「蓋on蓋」の一つとして、紹介されています。
本書によると、竪川のように、高速道路が通った後に暗渠化されるケースは珍しく、大体は暗渠化と高速道路の建設が同時か、暗渠化の方が早いそう。
竪川は、「蓋on蓋」の中でも特別な存在のようです!

などなど、本書には注目ポイントが盛りだくさん。
ということで、墨田区の水路跡等が載っている箇所を下にまとめました(旧水路ラボ調べ)。
◆表紙 大横川(写真)

キーワード【平川橋】【清平橋】【ちょん切られた橋】



◆pp.55-63 竪川

キーワード【複雑性】【永井荷風】【首都高7号小松川線】【暗渠化の謎】



◆p.81 古川(鷭堀)(写真)

キーワード【舟コレクション】



◆pp.132, 133 隅田川(写真)

キーワード【上空蓋】【吾妻橋】【首都高6号向島線】【区境】



◆p.117 あしたのジョー(漫画)

キーワード【よどみ】



◆pp.132, 134, 137 竪川(写真・表も)

キーワード【蓋on蓋】【首都高7号小松川線】【区境】



◆p.136 隅田川(写真)

キーワード【蔵前橋】【裏側】【覗き見るわくわく感と繊細さ】



◆p.154 曳舟川(写真)

キーワード【更生橋】【親柱】【八広小学校】【暗橋】【剥製】


もちろん、墨田区内には他にもたくさんの「水路上」があります。
みなさんも、本書を片手に街に出かけて、水路上観察をしてみませんか。

水路上観察入門


暗渠マニアックスのお二人の次作『「暗橋」で楽しむ東京さんぽ』については↓


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投稿日時 2021.06.22 02:22
最終更新 2021.06.30 22:22

【戦前】六間堀近辺の写真【千歳町二丁目】

国会図書館で『町会要覧』(千歳町二丁目町会、1933年)という文献を発見しました。

千歳町二丁目は、六間堀沿いにあった町です(現在の墨田区千歳二丁目全域と千歳三丁目のごく一部)
この文献には、六間堀自体を撮影したものはありませんでしたが、
昭和戦前の付近の街並みを撮った貴重な写真が3枚収録されていました。

竪川通りより見た千歳橋と国旗掲揚塔
[写真1]竪川通りより見た千歳橋と国旗掲揚塔(巻頭写真)

1枚目がこちらです。
千歳橋は、1929(昭和4)年7月に創架されたトラス橋です(震災復興橋)。
親柱の上には、背の高い灯具が立っていたようです。
空が広いですね。

写真左には国旗掲揚塔が見えます。
国旗掲揚塔は、町会単位で設置されることが多く、
しかも、わざわざキャプションに書いているくらいですから、
この掲揚塔は千歳町二丁目のものだと考えられます。


千歳橋2021年
[写真1']架け替えられた千歳橋(2021年(令和3))

千歳橋は、1981(昭和56)年に上部構造が架け替えられて、現在は鋼箱桁橋となっています。
また、千歳橋のたもとに掲揚塔は見当たりません。現存していないのではないかと思います。



山城橋より見た千歳町二丁目本通り商店街
[写真2]山城橋より見た千歳町二丁目本通り商店街(巻頭写真)

2枚目がこちらです。
左角の「和洋酒類」の看板が掲げられている店は、小槌屋酒店。
山白雪(日本酒の銘柄?)の特約店で、他に味噌、醤油、缶詰、ビン詰を取り扱っていたようです。
その奥の「毛皮」の文字は、永井商店。
毛皮や毛皮加工の請負だけでなく、洋傘の製造販売もしていたようです。
通りの反対側やや奥に見える「巴」の看板は、巴商会
「国栄号」「巴号」などの自転車の販売や、修理を業としていたようです。


千歳町二丁目本通り2021年
[写真2']様変わりした千歳町二丁目本通り(2021(令和3)年)

現在、この通りには商店が少なくなり、セブンイレブンがあるくらいです。
その代わり、住宅や会社が多くなっています。


巴ノ自転車
[写真a]六間堀と「巴ノ自転車」を竪川北岸から望む(1950(昭和25)年頃、カラー化)

ちなみに、六間堀の埋立て直前に撮影された、この文献とは別の写真に「自転車」という名が見えます。
六間堀沿いに巴商会の倉庫か何かがあったのかもしれません(情報募集中)。



汐時地蔵尊
[写真3]汐時地蔵尊(50頁)

3枚目がこちらです。
汐時地蔵は、町内にある要津寺というお寺に安置されているお地蔵さんです(損傷が激しいものの現存)。
江戸時代、六間堀の底に沈んでいたところを引き揚げられたといわれています。
このお地蔵さんは、満潮の時間になると表面が濡れ、干潮になると乾いて、
人々に「しおどき」を知らせたことから、「汐時地蔵」の名がついたという伝説があります。
咳の病に御利益があるということで、かつては、多くの参詣者がいたようです。

1930(昭和5)年には、要津寺門前の通りが六間堀とぶつかる所に新しく橋が架けられ、
汐時橋と命名されました。汐時橋も千歳橋同様、震災復興橋です。


2021年の汐時地蔵尊
[写真3']汐時地蔵尊(2021(令和3)年)

近年は、檀家でない限り、汐時地蔵の実物を見ることが不可能な状況が続いていましたが、
最近、境内の一角に台座つきのお堂と、由来を記す石碑が作られ、そこに安置されるようになりました。
ちなみに、こちらの汐時地蔵尊は、関東大震災後に作られた2代目です。


この『町会要覧』には、写真以外にも様々な情報が掲載されています。
関東大震災からの復興直後の街の様子が分かる貴重な史料です。
千歳の郷土史にご興味がある方には、面白い文献だと思います。

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